気まぐれ日記 2013年7月
2013年6月はここ
7月1日(月)「月が変わっても行動は変わらない・・・の風さん」
4時半起床……というとカッコいいが、ち・が・う。
昨夜は疲労でダウンしたのだ。
急いで入浴して帳尻合わせ。
予定通り旧職場へ出社。身辺整理があるので、最近は頻繁に顔を出している。
夕方、用事があって製作所へ。
製作所は何となく静かだった。それもそのはず、技能五輪国際大会で、選手と関係者がドイツへ飛んでいる。
留守番中の某室長と社内冊子について打ち合わせ。
原稿依頼である。基本的に受けるのだが、私のスタイルは、相手方に私のモノの考え方をよっく理解してもらった上で筆を執るのである。
その話し合いにたっぷり時間を使い、何を書くかも決め、もちろん仕事は受けた。
今から研修所へ行っても効率が悪いので、そこで退社した。
明るい空の下、下道をひた走り、薬局で買い物をして帰宅した。
相変わらず講演依頼が続いているので、とうとうリモコン付きレーザーポインターを発注した。ネット上では人気NO.1機種である。
7月2日(火)「同級生からの友情発注・・・の風さん」
研修所に出社して、ケータイで自宅に着いたメールチェックをしたら、昨夜遅く、中学校時代の同級生からメールが届いていることに気が付いた。
用件を呼んでビックリ。金曜日までに『江戸の天才数学者』を30冊、サイン入りで送って欲しいというものだった。
我が家にストックがあれば難なく対応できるのだが、ど貧乏の風さんは、まるでJIT(ジャスト・イン・タイム)生産のように在庫レス状態なのだ。
それで、先週、20冊の補充を出版社に要請してあったのだが、あいにく出版社でも倉庫の整理中とかですぐに対応できず、私の発注した20冊は来週届けられるという状態だった。
とはいえ、物は相談である。すぐに出版社に電話して、善後策を協議した。
いくつか案が出されたが、決め手がない。
こうなると、同級生の希望がすべて絶対か、譲歩できる部分はないか、確認することになった。
運よく今日はiPad miniを持ってきていたので、iPhoneでテザリングをして、同級生のケータイや勤務先の電話番号を入手するため、メールデータをさかのぼることにした。確か、古いメールに署名がついていたのだ。
WEBメールなので、検索ができないため、100通ずつさかのぼって行った。そして、約5400通さかのぼったところで、署名付きのメールを発見した。
ちょうど昼休みになったので、ケータイにかけたが出なかった。次に、勤務先にかけたが、出た人が(きっと席が遠かったのだろう)「しばらくお待ちください」と言っていなくなってからかなりの時間待たされた(こういう場合、「あとでこちらからかけ直させます」とすべきなのだが……)。
ま、とにかく、同級生と卒業以来だから実に40年ぶりに会話した。
その結果、次のような対応方法になった。
出版社としては、都内の書店を走り回ってでも30冊確保して、直接同級生宅へ(サインなしで)送るのである。
7月3日(水)「ヒールアンドトウ・・・の風さん」
せっかく注文してくれた本にサインができなかったので、その穴埋めも兼ねて、同級生宅へおまけグッズをレターパックで送った。
出社時に郵便局のポストに投函したのである。
これは久しぶりのことだったが、懸案事項が一つ片付いた気分になれるので、なかなかいい。
と、ホッとしたのも束の間、またケータイを持って出てくるのを忘れた。
充電器をリビングに置いてあり、朝、目に入る確率が高いので、忘れ防止になるかと思っていたが、まるで駄目。
夕方、旧職場に寄って探し物をしたが、なかった。
しかし、もっと恐ろしいことに、自分の物が入った引き出しが一つあることに、今日気付いた。
ところが、そこは上下3段が共通の鍵でロックされていたため、中を確認できなかった。今度開けてもらわねば。
帰りに買い物をし、キャメロンに少し給油もした。
キャメロンと言えば、マニュアルにしたおかげで新発見があった。
これまでマニュアル車は3台経験があり、そのうち2台はスポーツカーなのだが、ヒールアンドトウがやりにくいペダル配置で、ダブルクラッチだけで満足していた。ところが、今回のキャメロンは、ヒールアンドトウがなんとかできるペダル配置なのだ。使わない手はない。
毎日練習を始めたところだ。
帰宅したら、一昨日注文したリモコン付きレーザーポインターが早くも届いた。
7月4日(木)「絶版への道・・・の風さん」
研修所に出社。
昼休みに久しぶりに新人物往来社に電話して『円周率を計算した男』の在庫状況を調べてもらった。
そうしたら、きれいな本が80冊とやや難のある本が20冊あるとのことだった。案外たくさん残っていたので驚いたが、早く絶版にしたいので、20冊、発注した。
帰宅したら、同級生からメールがあり、私が昨日投函した物も、出版社から送られた本や冊子もすべて届いたとのこと。
明日の会合に間に合った。ホッとした。
週末のビジネススクールのための準備がいよいよピンチだった。
土曜日の朝一番に提出しなければならないレポートを今夜中に完成させる覚悟で書斎の机に向かった。
7月5日(金)「生死の境の週末(1)・・・の風さん」
昨夜は、決死の覚悟で机と言うかパソコンの画面に向かったものの、疲労と睡魔にあえなく負けてダウン。
しかし、からくも午前零時半に目が覚めたので、そこからまた頑張ってレポートに取り組んだ。
土曜日のレポートが完成したのが午前6時で、いちおう気が楽になったので、1時間だけ仮眠してから出社の準備を始めた。
旧職場に顔を出し、打ち合わせやら身辺整理やらして、昼食後、名古屋へ出張した。寝不足での運転は危ないので、電車である。
JMAの人たちと充実した会議を終えたが、その後の懇親会は失礼した。
帰宅し、残っている課題へ取り組み始めた。この土日で、課題レポートは3通、プレゼンは2回、さらに計算テストまであるのだ。
しかし、昨夜の半徹夜の影響で、今夜も夕食後にダウンした。
7月6日(土)「生死の境の週末(2)・・・の風さん」
昨夜も午前零時半に目覚めたかったが無理だった。
結局、起きたのは午前3時半。睡眠時間は5時間である。ずいぶんと寝たものだ。
今日は、計算テストもある。だいたい問題は予想できるのだが、老化と疲労と寝不足で、脳みそが本物の味噌と大差ないほど機能低下しているので、ピンチだ。
行きの電車の中でも復習を続けたが、財務諸表の数値から経営効率や企業価値を間違いなく計算する自信はつかなかった。
結果、どうなったかと言うと、味噌に計算能力はなく、半分くらいしかできなかった。どの課題も零点でなければ合格できるという先生の言葉を信じよう。
木曜日の夜に準備した課題レポートを提出した後、クラス討議になった。
努力した甲斐あって、内容的には正しい方向で書かれたレポートだったが、やはり寝不足状態では正確さを欠いていた。零点でなかったから「よし」としよう。
帰宅して、課題レポート2通に取り組んだ。どちらもプレゼンをともなう内容である。
7月7日(日)「生死の境の週末(3)・・・の風さん」
とうとう徹夜になってしまった。課題の1つは、長期間にわたって株式を保有すべき企業を選抜することだ。ウォーレンバフェットの手法を応用する。
もう1つは、買収する価値のある企業を選抜することだ。財務諸表から企業価値を算出し、その企業の時価総額と比較して、プレミアムをつけて株式買いをおこなってもおつりがくることを証明しなければならない。
どちらも多くの企業の中からお勧めを見つけている余裕はなかったので、評価してみたい企業を「えいや!」と選んで、あとはひたすらレポートにした。
一睡もせずに仕上げたレポート2通と、1社はプレゼン資料も作成したが、ほとんど自信はない。なぜ自信がないかと言うと、受講生全員で相互審査するので、ごまかしはきかないからだ。
いつも買う昼食のパンも、単なる菓子パンでなく、ソーセージの入ったものにした。パワー切れを恐れたからだ。
そして、信じられないことに、夕方まで、気を失うことなく、すべてのミッションをこなすことができた。
途中で、自販機でリアルゴールドを買って飲むという涙ぐましい努力もしたのだが。
こういった無茶はほとんどの受講生がやっていることで、「今朝の零時から寝てないんだ」という同級生のセリフに対しては「ぼくは昨夜の午前3時半から寝てないよ」と胸を張って対抗することができた(そんなことで張り合ってどうする?)。
講義が終わった後は、恒例の懇親会となり、しっかり参加し、生中とグラスワインを白と赤それぞれ1杯ずつ飲んだ。
帰宅してぶっ倒れたのは言うまでもない。週末の講義の課題のために、3日間で合計6時間しか寝てないのだ。
7月8日(月)「キャメロンのターボ音が消えた?・・・の風さん」
朝から気温がぐんぐん上昇した。キャメロンの気になるターボ音が聞こえなくなったのは、熱膨張による寸法変化で共振点がずれるのかもしれない。
研修所で打ち合わせをしている合間に、ちゃっかり本社でタンメンを食べてきた。うまかった〜。
退社時にキャメロンに給油したが、燃費は10.88km/Lだった。エコ運転をすればそこそこ走ることは分かった。
8月は色々な行事で立て込んでいる。連休後に開催される全国和算研究大会事務局へメールを送った。月末に名古屋で開催される講演会の事務局へもメールを送った。
ついでに、来年の1月に予定されている講演会の事務局へもメールを送った。
その前にやることも膨大にあり、頭が痛い。
7月9日(火)「学ぶ若者たち・・・の風さん」
金曜日から休んでいた旧職場の同僚を心配していたが、今日出社していることが分かりホッとした。
週末のビジネススクールで教えてもらった、同じ社員で猛烈に勉強しているという人物が本当に本社にいるか、社内イエローページで探した……ら、いた!
しかし、同姓同名ということもあるので、遠回しに質問するメールを送ったところ、すぐに返事が来た。「違います。同姓同名でしょう」とあり、ガッカリしたが、続けて「名商大大学院ではないビジネススクールに通っています」と書いてあったので、あれ?と思った。
しばらく考えてから、ビジネススクールで教えてもらった彼は、同じ社員というだけでなく、私と同じ東北大学出身というのを思い出した。
それで、「もしかして同窓生?」と聞いてみたら、ビンゴ!だった。
通っているビジネススクールは、元部下と同じグロービスだった。
厳しい経営環境、困難な仕事環境そして不十分な教育システムの中、自ら学ぶ環境を求めて行く若者がいることを頼もしく思った。
帰宅したらワイフが母の形見のスラックスをはいてご機嫌だった。
次女から父の日のプレゼントをもらった。
今日は甲府市で39.1℃を記録するほどの猛暑だった。
山梨県には来月の下旬に行くんだよう!
7月10日(水)「国際試合の意外なルール・・・の風さん」
昨夜も書斎でダウンし、今朝5時に目覚めたが、ケータイを忘れて家を出た。
昨日、こんなことがあった。
出社途中、いきなり横道から飛び出してきたクルマがあって、少々ムッとしたが、接近してみたら、会社(旧職場のある製作所)のステッカーを貼っていた。
その後の運転はまともなものだった。さっきはちょっとした気のゆるみだったのだろう。
ナンバーを控えておいたので、出社後、製作所の総務へ電話して、特定してもらうようにお願いした。密告は嫌いなので、直接、アドバイスするつもりだったからだ。
まもなく回答がきて、正社員ではなく、派遣社員だったことが分かった。
よく知らない相手で、しかもいつまで勤務するか分からない相手に、上司でも何でもない人物が注意するのはちょっと微妙かな、と思ったので、その職場の上司に、総務から上手に指導をお願いしてもらい、危険運転の記録として残らないようにお願いした。
安全運転のための密告制度に私は反対なのだ。
午後、研修所に移動し、ロビーのパネル更新作業をした。
夕方、製作所へ行き、同僚に拙著を渡そうとしたら、技能五輪ドイツ大会から帰国したばかりの社長とトイレでバッタリ会ってしまい、激戦の状況を聞く羽目になってしまった。
驚くべきことは、競技ルールで、大会が始まるまで決まらないばかりか(関係者がメール交換して議論しているらしい)、試合が始まってもまだ議論が続き、数日間の競技が終わってもまだ誰が優勝したか分からないこともあるそうだ。
では、どうやってルールが決まり、順位がつくかと言うと、参加国のエキスパートと通訳が集まって議論するのだそうだ。そうなると、どうしても交渉力、押しの力が強い国が有利になる。それで、某国のメダル獲得数がトップになるわけだ。
7月11日(木)「エンジン分解・・・の風さん」
今日は研修所へ勇んで出かけた。いでたちは、生産現場の半そで作業服姿である。
なぜかというと、生まれて初めてエンジン分解を体験するからだ。
研修所では新入社員のためのエンジン分解という実習があるが、講師の技能伝承のためもあって講師予備軍を作ることになった。それに志願したのである。
しかし今日は、素人のために丁寧に教える場ではなく、今年からエンジンが新しくなり、エンジン分解研修のチューターたちの事前確認の場があったため、それに参加することにしたのだ。
エンジンは1NZ−FEエンジンといって、アクアにも使われている高性能エンジンだ。
初体験の私には、ツインカムエンジンで、ブロックがアルミ製だったり、ヘッドがマグネシウム合金だったり、高性能オルタネータ、電子スロットル、チェーン式タイミングベルトが使用されているなど、最新技術をふんだんに使用していることに驚いた。これで、アイドルストップ用のスタータまで使われていたら完璧だったろう。
参加しているチューターたちは全員プロなので、私は足手まといだった。
それでも、ときどき部品の分解をやらせてくれ、なかなか楽しかった。
こういった練習を何度も繰り返さないと、私は役に立たないだろう。
7月12日(金)「精神不安定な1日・・・の風さん」
ワイフがトールペインティング教室の手伝いで上京するので、早朝、駅まで送って行った。いつもビジネススクールの送り迎えをやってくれるので、こういうときは恩返しだ。
今日は研修所に来客があり、何となく所内がざわざわしていた。
私個人にも来客があり、何となく落ち着かない日だった。
インターネットで小さなラジコンヘリが販売されていることを偶然知った。
ナノファルコンという。欲しい(笑)。しかし、ど貧乏ではダメだ。ワイフの雷も落ちる。
帰りに床屋に寄ってサッパリして帰宅した。
明日から3日連続の集中講義(ビジネススクール)である。
ワイフはほとんど終電で帰ってきた。もちろん駅まで出迎えた。
7月13日(土)「集中講義の初日・・・の風さん」
今日から3日間の講義は、昨年受講して単位を取得したものである。
しかし、金融偏重というか極端に資本主義に走っている欧米企業の中に、サステナビリティの重要さを主張するCEOが出てきたという、重要な情報を含む講義のため、聴講で受講することにした。聴講(単位に関係なく受講すること)は初めてである。
サステナビリティ重視ということは、株主重視ではないので四半期ごとの業績やROEを高めることだけにやっきにならない長期的な経営をするということだ。
短期間に企業価値を高めてキャピタルゲインを得ようという株主は他社へ行ってください、と言い放つほどで、ハンパではない。ケースはネスレとユニリーバだった。
集中講義は午後7時半までやるので、かなり疲労した。
7月14日(日)「次女の作品を鑑賞・・・の風さん」
今日は集中講義の2日目。講師は大中先生といって、吉田松陰を尊敬する哲学者のような方だ。たまたま吉田松陰を主人公にした私の短編が収録された新鷹会アンソロジーが出たところだったので、先生に贈呈した。
今日は、先生に断わって夕方早めに一人退出し、地下鉄で名古屋ドーム方面へ向かった。
次女の通う大学の4年次前期修了展が開催されていて、それを観るためだった。
先に観たワイフから失望の報告がされていただけに、非常に気になっていて、無理して出かけたのである。
おりしも中日のデーゲームが終わったタイミングで、地下鉄の駅へ向かう人の洪水をかきわけるようにして会場に向かった(中日が勝ったのに、なぜか観客の表情から読めなかった)。
次女の作品は、先日の個展の部類つまり抽象画だった。
かなり乱暴な筆致だったが、個展のときよりもメッセージ性が高まっていた気がして、かなり安心した。つまりいい加減な作品ではなかったのだ。
7月15日(月)「聴講が終了・・・の風さん」
集中講義の3日目を受講するため有休をとった。
今日は5時半ころに終了したが、さすがに先生も学生も疲労の色が濃かった。
そこへいくと聴講の私は、成績に関係ないので、レポートを出す必要もなく、比較的元気だった。
新たな知識を得て満足し、恒例の懇親会に参加した。
科目ごとに新たな仲間との出会いがあり、タフな勉強をしたあと懇親会でしめくくる、厳しさの中にも人間味を感じる講義を経験できるのは、あとわずかである。そして、今夜もちゃっかり拙著を販売した。
帰宅し、9月の秋田往復の航空券の購入処理をした。
明日も忙しいぞ。
7月16日(火)「飲まない飲み会・・・の風さん」
旧職場に出社。定年まであと3ヶ月だ。思い出の品物でも処分しなければならない。
今日は、配属以来課長昇格までひと月も欠かさず作成した月度計画表を、自らの手で細かく切って捨てた。夢中で仕事していた日々の自分が愛しい。
本社でランチを摂ってから研修所に移動した。
会議をひとつこなした。
定時後、同僚を乗せて本社へ。職場の飲み会(私は飲まないが)に出席するためだ。
低いギヤでの急加速やヒールアンドトウで同僚にサービスした。
飲み会は一種の歓送迎会である。やがて定年を迎える私にもこんな場面があるかも。
何となくやだな。
今夜は、職場の秘密クラブの面々と並んでの飲み会(私は飲まないが)だったので、楽しかった。
7月17日(水)「戦略立案の仕事だったのか・・・の風さん」
明日の非常勤講義の準備をしていたので出社が遅くなってしまった。
今日も旧職場で身辺整理。今日は課長時代に自分がリーダーとなって職場で生産システムの方向性を検討しているときの資料をどっさり捨てた。
当時はただ夢中で仕事していただけだが、今振り返ると、会社の長期ビジョンをふまえて、メーカーとして先回りして研究すべき生産システムの課題を検討していたのだ。いわば戦略会議を運営していたことになる。
しかし、それほど重要な検討会だったのに、非力な私はゴールまでたどり着くことができなかった。
慙愧に堪えない想いを抱きつつ、今日も資料をずたずたに切り裂いて捨てた。
今日も午後研修所に移動し、定時後は戸締り当番をこなして帰宅した。
7月18日(木)「久しぶりの非常勤講義・・・の風さん」
午前3時に起床した。少し元気が戻ったので、出社前に仕事した。
旧職場に出社して室長と打ち合わせ、その後、製作所へ移動して会議に出、本社で昼食を摂って午後有休に入った。
キャメロンで本山キャンパスへ。
今日は久しぶりの非常勤講義である(中国人留学生の名前の発音記号を書いたメモを忘れた)。
8月1日の工場見学の準備も兼ねて、トヨタ生産方式を教えた。
7月19日(金)「たまりやすいもの・・・の風さん」
今朝の3時半から6時半まで書斎で仮眠して、今日は本社へ出社した。
できたばかりのケースの改訂版を元副社長に見てもらった。元々の上司だし、題材になっているPALAPの強力な支援者なので、内容を見てもらうには最適な方だった。
そのまま人事部へも足を運び、知り合いの担当重役へケースを説明した。後でチェックしてくれることになった。懸案事項の一つの前進した。
研修所へ移動したら、やや不穏な空気が流れていたので、午後に予定していた私の会議を延期した。
定時後、予約していた歯医者に寄って定期健診と歯石の除去を受けた。高齢になって歯を失う一番の原因は歯周病なのだという。予防のためには、第一に歯石をためないこと、と言われたが、私の場合、たまりやすい体質らしく、定期的な除去が欠かせない。
何となく気分で、キャメロンの幌を開け、オープンカーで帰宅した。
ストレスも歯石と同様にためないようにしなければ。
7月20日(土)「デリバティブに再挑戦・・・の風さん」
ビジネススクール最後の授業が始まった。「Investment Simulation」といって、教室で(イントラネット環境下で)オプション取引の体験をしながら、マクロ経済を学ぶのである。
昨年も受講したが、金銭感覚にうとい私はさんざんな結果で(いちおう単位は取得できたが)、再挑戦は自らに課したノルマだった。幸い、講義のタイトルが変更になったので、合格すれば単位ももらえる。
昨夜も早々とダウンしたので、今朝は5時半に起床した。
行きの電車も含めて、先物やオプションに関する知識を復習して授業に臨んだ。
教室では当然パソコンが必要だが、私のマックブックエアーではイントラネットに対応できないので、学校から借りた。
二度目の授業は、先週の聴講と同様に気が楽だ。
元数学者の伊藤先生の名調子が始まった。
7月21日(日)「出版社からの微妙な提案・・・の風さん」
昨日、帰宅したら、C出版社から手紙とファックスが届いていた。
内容は、拙著の電子出版化とネット上でのオンデマンド出版対応に対する許諾を求めるものだった。
電子出版には元々反対の姿勢なので、他の理由もあるが、これはお断りしようと思った。
しかし、オンデマンド出版は、紙の本になるという点が魅力で、既に絶版になっている拙著の復刊方法の一つとして、大いに検討の余地があると思った。
しかし、最大の懸念点は出版社で、K出版社の系列に連なるC出版社に対して、私の印象は良くない。
ビジネスは最後は人間がやっていることなので、信頼関係は非常に重要である。
今回の件については、S出版社の編集者の意見も聞いてみようと思った。
ビジネススクールの2日目が終わった。
昨年のひどさからすれば、まずまずのスタートが切れたと言える。
明日から2週間続く日経平均当て(仮称日経ダービー)も、私の成長を測る好手段だ。
最寄りの駅まで迎えに来てくれたワイフと投票してから帰宅した。
7月22日(月)「日経平均は9位スタート・・・の風さん」
研修所に出社し、会議に出席してから旧職場へ移動した。
今日はスペインから帰任してきた新部長が現場を見学する日だったので、絶好のチャンスとばかりに自分で設計した設備を紹介して自慢した。新部長は元部下である。
そうこうしている間に、身辺整理の続きもやったのだが、今日は、自分が課長昇格する前に準備していたキングジム1冊分のファイルを処分した。
こうやっていつか完全退社する日を迎える準備をするのだ。
昨日の参議院議員選挙の結果は、予想通り自民党の圧勝となった。番狂わせがない限り、日経平均は既に織り込み済みだとビジネススクールの先生はおっしゃっていたが、そこそこの上昇を見せるだろうと読んだ私は甘かった。
先生の指摘通りだったが、迷った人は多かったようで、クラス28人の中で私は9位だった(正解との差の絶対値の順位)。
7月23日(火)「ビックリ日経平均・・・の風さん」
今日もまず研修所に出社した。午前中、会議に出席した。
週末、私自身が研修所で「先輩講話」というのをやる。私が社外で講演している状態を再現して見せた後質疑応答しようという私の提案が盛り込まれたので、使うパソコンは自分のマックブックエアーである。
昼前に、会社のインフラとのマッチングに問題がないかチェックしたところ、一発でうまく行った。
この間、初めてエンジン分解を経験したが、エンジンがマウントされているのは、トヨタ自動車で設計された専用台車である。初期の設計のためだろう。重心が高く、地震時に転倒・暴走の懸念がある。そこで私が志願して、転倒・暴走防止治具の設計をした。もちろん設備設計の専門家の助言はもらっているので、間違いない治具になっている。
旧職場にある自分が設計した設備や治具と同様、これから自慢する機会はあるだろうと、写真を撮っておいた。
夕方から、製作所へ出かけ、そこにもある私が設計した転倒・暴走防止治具(台車の構造が異なっているため設計もいくらか違う)の写真も撮った。
さらに製作所(実際は研修所)には、90年代初頭に開発したある生産システムの一部が、高度技能研修の題材として使用されているので、これも思い出に写真を撮っておいた。
事業としての成功は十分ではなかったが、現場に喜ばれた生産ラインだったのが一番の達成感である。
キャメロンを初めて自動洗車して帰宅した。割引価格だったのでワックスのオプションも選んだ。
今日の日経平均は、昨日の結果が精神に響いていたため、控えめの数値にしていたら、とんでもない上昇を見せた。私の今日の成績は、28人中17位だった。
しかし、面白かったのは、昨日の1位は28位に、昨日の28位は1位になっていたことだ。結局、クラス28人、全員、素人集団ということだろう。
7月24日(水)「作家としての覚悟・・・の風さん」
先日のC出版社からの電子データ化とオンデマンド出版化の依頼に対しては、S出版社の意見も参考にして、昨日、電話で丁重にお断りした。こういった反応は私だけではないようで、あるいは私など数合わせのおまけだったかもしれないが、慰留はまったくなかった。
ビジネススクール卒業後は、再び作家業に軸足を置けると思うので、一つの覚悟ができたことになる。
今日は研修所で力仕事も一つした。ロビーのソファの撤去である。明日、新しい陳列物が搬入されるので、早めにスペースを明けたいという申し出があり、明日の予定を今日に変更して対応した。しかし、急な変更は予定していた人たちに迷惑だろうと、私自身が早めに作業スタートし、協力者が参加するときには、方向性がハッキリした状態にしておいた。
今夜は戸締り当番の日だったが、多忙のため8月5日と交代してもらって退社し、帰りに歯医者に寄った。定期健診であり、歯石除去である。
今日の日経平均の予想結果は、28人中7位だった。
まずまずである。
7月25日(木)「オープンカーで名古屋から帰宅・・・の風さん」
旧職場へ出社し、心配していた同僚の体調を真っ先に確認した。表情が明るかったので、もしかすると良い方向になっているのかもしれない。今後も見守っていこう。
すぐにキャメロンのハンドルを握って研修所へ移動。
到着すると、既に陳列物の搬入が始まっていた。専門業者のクルマが来ていたので、先ずはホッとした。人数も確認すると4人いて、私の考える必要数だった。
帽子と安全メガネを装着して、現場に立った。
搬入するものが重量物にもかかわらず、カーペットに養生(ようじょう)をしていなかったので、責任者に注意すると、一瞬、焦った表情を見せた。
私の帽子には、設備搬入時の立ち会い者資格を示すバッジが輝いていた(笑)。
ブルーシートを貸してやって、床のカーペットは守られた。
所内の女性たちがもの珍しそうに見物しているので、そばに寄らないように注意したが、やんちゃな子供と一緒で、あまり気にしていないようだ。
こうして、搬入は無事に終わったので、私はさっさと姿を消した。
午後は有休で、前期最後の非常勤講義である。
今日は、東京からの来客も予定していた。
11月に東京で作家として講演することになったのだが、その打ち合わせでわざわざ名古屋まで来てくれるのだ。超多忙な私としては、今日の非常勤講義が終わった後くらいしか時間がなかったので、名古屋から地下鉄で15分のキャンパスまで来ていただくことにしていた。
あらかじめ事務室の人に話してあったので、講義後、来客2人と講師控室で打ち合わせすることができた。コーヒーとお菓子の接待まであって、私の株が上がったことだろう(笑)。
打ち合わせは無事に終了し、午前中とはうって変わって明るい気分になった。
帰る時、事務室や警備の人にキャメロンの自慢をした。幌も開いて見せた。
すると、学生たちもやってきて、じろじろ。中にクルマに詳しい子がいて、私に解説してくれた。
私が「サスもガチガチに硬いんだよ」と言ったら、後ろへ回って下から覗き込んで曰く「オーリンズのサスがついてますよ」と言う。私も同じように覗いて見たら黄色いショックアブソーバーが見えた。それだと言う。
調子に乗って、オープンカーのまま帰宅した。
今日の日経平均予想は大きく外れ、最下位だった。
7月26日(金)「タフな仕事が終日続く・・・の風さん」
研修所に出社し、午前中、新規事業に関する自分の経験談を語る会の第4回を実施した。
今回は、ビジネススクールにおける講義のやり方について、アントレプレナーの科目を題材に紹介した。
一番言いたかったことは、異業種の人たちが集まっていて、厳しい競争雰囲気の中、真剣に議論することの重要さだった。
こういった環境は、社内に作るのは困難である。なぜなら、全員同じ企業に勤めていて、勤務時間内に、落第もなく、精神的なケアまで心配して行う研修しか企画できないからだ。
久しぶりにカロリーメイトの昼食だった。(働かざる者、食うべからずだが)今日は奮発して200kcal。
午後は研修所が帰宅する初めての先輩講話で、トップバッターは私である。「殻を破る」というのが先輩講話の統一コンセプトなので、なるべく常識破りをやろうと思っていた。
前半の講演は、本名と筆名でおこなった社外講演を、聴講者の前で再現してみせた。
スーツ姿で道具は自前のマックブックエアーとリモコン付きレーザーポインター。
後半は場所を講義室から談話室風の空間へ変えた。私を囲んで全員ソファでゆったり。飲み物もOKである。もちろん私は普段着(会社のロゴマーク入りポロシャツ)に着替えて登場した。
会社の関連本(ほとんど私物)もどっさり持参して、もっと自分たちの会社について知ろうよ、と暗示したのだが……。
1時間半近く用意された質疑応答が、今日の最大の目玉だった……はずだが、なぜか会社員をやりながら作家をしている私に対する興味や関心は薄く、仕事上の悩みの話に終始してしまった。
これでは、私が先輩講話をする意味が半減する。仕事の話しかしないのなら、私にも別のやり方がある。おそらく社員一人一人が経営センスを磨く必要があることを、自分の社外での経験から熱く語っただろう。
それでも執念で最後に拙著の販売コーナーを設けた。幸い、私に興味をもってくれていた人もいて、何冊か売れてホッとした。
非常に疲れた先輩講話だった。同僚と「鳴海風である必要はほとんどなかったね」と語り合った。
定時後、研修所の屋上から星空を見る会が設定されていたが、私は失礼して帰宅した。
今日の日経平均も予想外だった。
アメリカの長期金利や欧州での為替レート(円安傾向)の結果などから予想したのだが、暴落した。
為替レートは、今朝から急激に円高基調となったのが一つの原因だが、この円高への変化も、予想していた人はいたのかもしれない。
クラスのほとんどが予想を外し、私は28人中14位だった。
今週を通じての総合では(成績には関係ないが)12位だった。昨年よりマシだ。
7月27日(土)「ゼミをすっぽかし・・・の風さん」
ウィークエンドMBA最後の週末講義受講である。
この土日には、オプション取引のシミュレーション(クラスコンペになる)が何度もあるはずだから、油断はできない。
いつもの8時半発の電車に乗って出発し、伏見駅の売店で昼食用のパンとコーヒーを購入し、お気に入りの席に陣取って、講義の始まるのを待った。
わずかな時間も気を抜くことができないビジネススクールである。
老境に入りつつある者にとって、これは厳しい修練である。あるいは単なるMなのかもしれない。なぜなら、ここで根性を再度鍛えても、それを生かす場面が今後何度もあるとは思えないからだ。
自らを追い詰めているのは、古き良き時代へのノスタルジアかもしれない。
今日は伊藤先生をまじえてのクラスの懇親会が、なんとバドガールの店で開催された。
若い人たちにとっては(女性含めて)興味深いものかもしれない。勉強にもなるかもしれない。
私が唯一楽しんだのは、途中で入ったボーカルの歌で、セミプロ級の上手さだった。
若い女性だったが、やや腰回りがふっくらしていたので、もしかするとpregnantだったかも。
日本の将来のためには重要なことだ。
今夜も執念で『江戸の天才数学者』を2冊販売した。
2次会の誘いもあったが、明日の準備があったので、失礼した。
明日の準備というのは、ゼミのためのケース作成だった。
ところが、ゼミは明日でなく、今夜開催されていた。
ボケ老人はゼミの開催日まで間違えるのである。
深夜、指導教官の長沢先生へ修正ケースと一緒に謝罪文をお送りした。
7月28日(日)「ブラック・ショールズの偏微分方程式・・・の風さん」
本当に最後の、これがビジネススクールで受ける正真正銘ラストの講義日である。
講義が始まる前に、伊藤先生へ大坂堂島米会所を題材にした先行小説を紹介し、自分も近い将来、同じ題材の小説を書きたいと宣言した。
それにしても伊藤先生の講義は次々に繰り出される深い知識の変化球に翻弄される。
剛速球だが、変化させてくるので、常人はきりきり舞いさせられる。
よせばいいのに、リスクパラメタのデルタの説明を受けた後に、それならガンマはどうやって計算されるのかと質問したクラスメートがいた。
待ってましたとばかりに、先生はブラック・ショールズの偏微分方程式を書いて説明を始めた。
この方程式の虚数部分は有名なシュレーディンガー方程式と同じです、などと言い放つ。波動方程式を知っている者などほとんどいないだろう。私向けへのメッセージか?
方程式の中にガウス分布を示す項があって、正規分布として知られていますね、などとつぶやく。オプション取引の発生確率(実際は価格の変化率の分布)を示すもので、待ち行列理論が含まれているのだろう、などと想像しているのは私くらいだろう。
かと思えば、突然、ランチェスターの兵力2乗の法則が飛び出したりする。ナポレオンから信長まで話題が発展し、数学者の面目躍如といったところだ。
こうして奇想天外な講義で、私のビジネススクール受講は終了した。あと1週間日経平均当てを無事にこなし、最終レポートも提出すれば、単位ももらえる。
7月29日(月)「定年記念旅行初日・・・の風さん」
午前5時起床。ワイフとキャメロンでセントレアへ。
会社の福利厚生施策の一種でカフェテリアプランというのがある。定年をひかえ旅行積立が残っていたので、航空運賃にして長崎へ行くことにした。結果、定年記念旅行みたいなものだ。
このところずっと天気はよかったのに、旅行に行く今日と明日だけ全国的に雨か曇りというのは、ちょっとそれはないんじゃない?と言いたいが、おてんとうさまに文句を言っても始まらないか。
日ごろドがつく貧乏生活(節約のこと)をしている私だが、今日と明日だけは財布のヒモをゆるめようと思っている。早速、空港の待合室でコーヒーを買って飲んだ(笑)。
あ、そうそう。日経平均予想だが、今日の分は既に入力済みだ。iPhoneからできることも確認してあるが、愛用のマックブックエアーも持参している。実は、ケース作成も気になっているのだ。
私は長崎は4回目(過去3回はすべて作家の用事)だが、ワイフは初めてである。したがって、私はツアーコンダクターに徹する。
空の上も、長崎市内までのリムジンバスも、だいたい快適だった。雨はまだ落ちてこない。
観光案内書でちんちん電車の1日乗車券を購入して、諏訪神社へ向かった。これは今夜の伏線である。
ワイフが超苦手な石段を上がって、まずは拝殿で2礼2拍手1礼。既に大汗だ。
札所でお札をもらえたワイフの機嫌も復活。お宮参りの家族や、婚礼写真を撮りに来たカップルの姿を眺めて感慨にふける。
いちおう、ここには算額があるんだよとか、有名な長崎くんちがおこなわれる場所だよ、と説明した。
無理は禁物と、ちんちん電車でグラバー園近くのホテルへ。荷物を預けてから、四海楼で長崎ちゃんぽんを食べた。長崎湾が見えるガラス窓側の席に座れたのはラッキーだった。
続いてちんちん電車で出島へ。ここは長崎観光の目玉の一つだし、長崎の歴史がわかって、鳴海風が長崎にやってきた理由を説明するにも最適なスポットだ。この辺一帯が昔は海だったということだけは、ワイフにはなかなか実感がわかなかったようだが。
途中で一瞬雨がぽつりと落ちてきたが、傘をさす必要はなかった。蒸し暑かったが、どんよりしているこれくらいの方が楽かもしれない。
ホテルに戻って正式にチェックインした。
大浦天主堂に続く土産物屋をショッピングして歩き、グラバー園に入った。
運悪く屋外エスカレーターが2基工事中で停止していたため、順路が変わっていた。とりあえずてっぺんまで登り、日が暮れるのを待った。ここはけっこう海抜があるのだが、やはり暑い。
やがて園内に明かりが点りだしたので、ぶらぶらと下って行った。ウィークデーで園内の人はまばらである。ビアガーデンで飲んだハイネケンが美味だった。
グラバー園から出る直前にある長崎伝統芸能館が、私の今日の隠し玉だった。
長崎くんちの山車が多数飾ってあり、ビデオで祭りの様子が見られるのである。
午前中、諏訪神社に寄った理由がここにあった。
晩御飯は中華街と決めていたのでちんちん電車で向かったが、午後9時閉店の寸前で、どこにも入れなかった。しかし、外れにあった海鮮市場(ここもいちおう観光スポット)で夕食にありついた。
ホテルに戻ってこれで1日が終了するわけではない。
ラウンジで目をつけていたケーキを食べた。
飲み物がスコッチだったのには、店の方も驚いていたかもしれない。
日経平均予想は、出島を見学しているときにチェックして把握していたので(可もなく不可もなく)、気持ちはもう明日へ移っていた。
7月30日(火)「定年記念旅行2日目・・・の風さん」
朝から国宝の浦上天主堂を見に行った。幕末、開国して外国人が訪れるようになり、教会ができたら隠れキリシタンが名乗り出てきたという有名なマリア像があるところだ。
チェックアウトして長崎駅へ。高速バスターミナル内のコインロッカーに荷物を預けてから、ロイヤルホストで朝食。2年前と同じ席に案内されて驚いた。
シーボルト記念館へ向かった。ここは2年前に1時間半かけて見学し、非常に感動した場所だ。はたしてワイフも共感するだろうか。
幸い今日も雨は降ってこないが、とにかく暑い。その中を、ひたすら歩く。ワイフには試練だ。
鳴滝塾跡から記念館内も含めて、ツアーガイドの私は丹念に説明した。
シーボルトはどの人でしょう?というクイズコーナーがあった。当時の様子(出島内が多い)を描いた絵の中に数人の外国人が描かれ、服装や様子からシーボルトを当てるクイズである。ワイフが面白がってやっていたが、意外とピタリと当てる。そして、最後にポツリ「お滝さんらしい女性のすぐ近くにいるのがシーボルトよ」。2年前の私が味わったのと同じ感動を、今、ワイフが追体験していることに気付いた。連れてきてよかった。
シーボルト記念館で初めて知ったことは、シーボルトが日本を追われてから後のことだ。
二人の手紙のやりとりだけではない。稲が女医になったことだけでもない。再びシーボルトが日本を訪れたことや、ドイツで結婚した女性との間にできた息子たちも日本と関わっていったのだ。子孫は今日も連綿とシーボルトと滝との交流の真実を伝えている。
新種と思ったアジサイの命名「オタクサ」は、日本人が滝を呼ぶ時の「お滝さん」に由来していることは間違いない。
次に眼鏡橋を見物してから、長崎で最も重い見学場所へ向かった。
先ず爆心地へ案内し、続いて平和公園へ。「平和の泉」の前に立たせたが、私は声が出なかった。
平和記念像前は、今回も式典の準備で工事人がたくさん入っていた。
次は浦上天主堂の予定だったが、残り時間も少なく、遠望するだけにとどめた。
小さな中華料理店で昼食を食べてから、原爆資料館へ。
ここもじっくり見学していったが、足が痛くなった。限界だと感じたので、見学を切り上げ、お帰りモードに。最後のちんちん電車に乗って長崎駅へ。
リムジンバス(ずっと寝ていた)で長崎空港へ着いたころには、私は本当に限界を感じていた。ツアーコンダクターは重労働である。
最後の買い物をしたワイフと食堂で夕食にした。ワイフは何の変哲もないトルコライスで、私は、長崎カレーと食べるミルクセーキ。最後まで長崎を堪能することは忘れなかった。
午後9時にセントレアに着いて、キャメロンで帰宅した。
今日の日経平均予想も可もなく不可もなく(13位)だった。今週も中くらいで終われば、私は満足である。とは言え、明日の予想に入らねば。
7月31日(水)「最初で最後のトヨタ技術者の1日・・・の風さん」
本社へ出社し、会社のバスでトヨタ自動車本社へ行った。
初めて「トヨタ技術者の1日」に参加するのだ。本当は講演を聴きたかったのだが、残念ながら抽選で外れ、パネル展示と実車展示の見学を目的に出かけることにした。
定年退社後は、トヨタ自動車に行くチャンスはほとんどなくなるだろう。
トヨタの技能者による展示をじっくり見学し、屋外にある往年の名車たちを眺めた後、弁当で昼食にした。サプライヤー展示(富士フィルム、暗視カラー映像技術、宇宙エレベーターなど)も面白かった。最新の車の展示もあったが、昨今は技術よりもデザインが売りになっている。価値は時代とともに変遷するのだ。しかし、デザインとは言っても、最新の技術がなければ(たとえば3D)実現できない部分も多く、そういう意味では技術の展示と言えるのかもしれない。
それにしても、長崎から帰ってきたらまた快晴で猛暑である。
今日の日経平均予想は、今朝、出がけに修正をかけたことがたたって、修正しなければ6位だったのが、修正したために18位になってしまった。惜しいことをした。
しかし、何となくコツが分かってきたような気もする。
明日こそ。
2013年8月はここ
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